徳田真寿

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おそらく昭和初期の写真と思われる1枚。

正装した紳士の中に、山高帽子をかぶり、顔からはみ出した大きな丸眼鏡を掛け、誇らしげに特大のパイプを加えた男の姿がある。紋付きの背広に袴をはき、腰には特大の懐中時計・・・。あきらかに周囲とは違和感のある奇妙な存在感。

佐世保から平戸へ向かう途中、平戸往還の宿場町として栄えた江迎町に、明治、大正、昭和と激動の時代を駆け抜けたアウトサイダーがいました。男の名前は「徳田真寿」。その当時、天下の奇人として全国的に名を馳せていたと言います。若いときに、風の噂で ”江迎に変人がいた” と聞いたことがあったのですが、すっかり頭の隅の方へ追いやられ忘れていました。

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偶然、Y氏は暇人のブログの中で徳田真寿の記事を見たのをきっけに、無性に江迎へ行きたい衝動にかられ、頭の何処にあった徳田真寿の存在がそのブログによって前面に押し出された時には、江迎町役場の電話番号を調べ電話していました(笑)。

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徳田真寿の遺品が展示してある、旧江迎町役場の佐世保市役所江迎支所。

役場へ入って職員の女性に遺品のことを尋ねると、エントランス横のロビーに展示してあるとのこと。女性は展示してある方を示し「お好きに見ていいですよ」と言った後、電気を点けてくれて本来の職務へと戻っていきました。これがお盆中でなければ、案内して説明してくれる職員がいたんだろうなと、ちょっと後悔・・・。

展示は想像よりも小ぢんまりとしていて、市役所のロビーの空きスペースに放置してある印象。わざわざ訪れる人も少ないんだろうなと思いつつも、ガラスで作られた三角形のケースをみると、展示当初は気合いが入っていたであろうことが伺えました。

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なぜ、三角形のガラスケースを見て「気合いが入っていたんだろう」と思ったかというと、徳田真寿は三角好きで知られていたからです。三角形のガラスケースはその意志を受け継ぐかのようで、展示に関わった人々の心意気が伝わってきます。

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徳田真寿は慶応3年(1867年)肥前国松浦郡江迎に生まれました。日清戦争に志願し海軍に従軍した後、江迎に戻り金融業を営みます。昭和19年に77歳の生涯を終えるまで江迎の地で「頓痴奇屋(とんちきや)」の主人として、金融業の他に古銭蒐集、切手収集、旅行、絵画などなど、自身の好奇心に逆らわない人生をおくりました。

旅行の時は、例の紋付きの出立ちに、一銭銅貨の入ったメリケン袋を天秤棒で担いで出かけ、費用の支払いはもちろん一銭銅貨。駅員やお店の人は困り果てたと云います。古銭蒐集においては外国貨幣に至るまで、二、三千種類は集めていたらしく、全国の蒐集家番付でも上位に名を連ねていたほど。

その奇習と物事を突き詰めるマニアックな精神は並外れた探求心の表れだったに他なりません。

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そんな奇習人生をおくった徳田真寿が特にこだわったのが「三角形」。展示品の中にもあるお膳や皿、しっぽく台、お盆や箸などの日常品や家具など、身の回りのものを三角形にしました。それは、

「三角形は円に通ずる。三角形を合わせると円になる。円は時間、空間、無限の発展性を表し、安定性もあり、一円融合の精神とつながる。三角形のお膳をつなぎ合わせると丸い車座となる。みんな輪になって喜びを共にする」

とういう自身の哲学に由来しています。

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三角形は一円融合の精神とつながる。三角に興味を持ったのが16歳のことだとい云いますが、幼い頃は祖父の事業が上手くいかず不遇な時代を過ごしました。その後、戦争を体験し地元に戻ってきます。若いときから様々な経験をし、物事に囚われることのない前向きな行動が周囲の人々には奇行に見えたのかも知れません。その天真爛漫な奇行ぶりに警察に通報されることもあったそうですが、周囲には不思議と人が集まり、町の人たちにとって愛すべきキャラクターとなっていったそうです。

まさに、逆境をバネに明るく生きた奇人の振る舞いそのものも、三角形の一円融合の精神を体現したものだったのかもしれませんね。

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これらの漆器のほとんどが輪島塗の特注品です。当時でも高価な輪島塗の漆器をつくらせ所有できたのは、金融業で財を得たからだと云われています。

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頓痴畸屋笑轉(とんちきやしょうてん)と書かれています。「頓痴畸屋」は屋号ですが、「笑轉(しょうてん)」とは「商店」の事なのでしょうか?「笑いに転じる」と書いて商店?定かではありませんが、なにかトンチを効かせているのだと推測でき、とてもおしゃれです(笑)。

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漆器の他にも日常で使用していたものが展示してあります。こちらは印鑑です。三角の印鑑もあります。かたちも彫ってあることも変ですね(笑)。

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吾唯足知(ワレタダタルヲシル):京都竜安寺の蹲踞から写したものでしょうか。

○十院殿釈有耶無耶大居士(レイジウインデンシャカウヤムヤダイゴジ):徳田真寿の戒名です。

頓痴奇院殿無鉄砲大居士(トンチキインデンムテッポウダイコジ):こちらも戒名のようですが誰のか不明。

徳田門亭(トクダエッヘンテイ):芸名でしょうか(笑)?

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最初の古い写真で腰に身につけていた懐中時計。でかすぎます(笑)。

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70歳を過ぎた頃から達磨を描きはじめたそうです。七十の手習というにはなかなか達筆ですね。達磨は何かの境地に達すことの象徴のようなものだと思うのですが、徳田真寿も晩年はそのような境地に達していたのでしょうか?

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一通り見終わると、先程の女性職員にお墓の場所を教えてもらい向かうことにしました。「裏通りをまっすぐ行くと橋があるのでそれを渡り、ちょっと歩くと・・・」とその通りに行きました。途中、土蔵造りの民家などがあり、なかなかの古い町並みが残っています。

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「・・・ちょっと歩くと、生涯学習センターが見えてくるのでその横です。案内の看板が建っています」と教えてくれたその通りに、江迎地区生涯学習センターが見えて来て、その横に墓地ありました。

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近くまで行くとすぐに看板も発見することができました。

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看板の案内に従って墓へ進むと、入り口には門柱が建てられていました。

左側の門柱には「如夢如屁テケレッツノパア喝」と刻まれています。「テケレッツのパー」とは古典落語「死神」の中に出てくる呪文。四代目立川談志やコメディアンの榎本健一がギャグとしたこともあったみたいです。今でいうと「ラッスンゴレライ」と墓の門柱に書くような感覚。やはり、ぶっ飛んでますね(笑)。

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右側の門柱に刻まれているのは「真実一路枯木花咲」の文字。「真実を貫けば、枯れた木々にも花が咲く」いった意味合いでしょうか?これは自身の生き様を表しているのでしょう。

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門を入るとすぐにあの三角の墓があります。

三角の基壇に三角錐の墓碑。香炉なども三角でつくられています。僕は五輪塔のプロポーションが好きなのですが、この三角の墓碑のプロポーションもなかなかのものです。三角錐の墓碑は天に向かう上昇志向が感じられ、とてもポジティブな形状です(笑)。この辺りにも、人生を明るく過ごすといった徳田真寿の前向きな生き方が現れているのでしょう。やはり、三角形とポジティブ思考は親和性が高いのかも知れませんね(笑)。

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それから、センスあるなーと思ったのが、戒名(○十院殿釈有耶無耶大居士/レイジウインデンシャカウヤムヤダイゴジ)の刻まれている位置。普通は平面に刻むと思うのですが徳田真寿は違いました。写真のように彫りにくい角に刻んでします。これには職人も苦労した事でしょうね。しかし、その様にすることが必然だったのかもしれません。三角形は角から見ると、頂部から後方へ広がりのある形が奥行きを感じさせます。パースの効果もありますね。逆に辺を正面にすると三角の平面が前面にきて、奥行きを感じる事はできません。形状の活かし方を分かっていたのだなと思います。

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天下の奇人として全国に名を知らしめ、ついついその奇習ぶりばかりに眼を奪われてしまいますが、父親としての徳田真寿はとても厳格な何処にでもいる普通のお父さんだったようです。嘘を嫌い、兄妹助け合って行くように常々云っていたそうです。改めて写真を見てみると、何処にでもいる普通の親父には見えないな(笑)。けど、自然と人が集まる愛すべきキャラクターであったことはどこか理解できます。僕もそうですけど、当時の人達も、彼のあけっぴろげな生き様に憬れていたんだろうなぁ。

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参考サイト

・Wikipedia:徳田真寿
・Y氏は暇人:天下の奇人「徳田真寿」を見に行く
・日本珍スポット百景:三角大好き!天下の奇人・・・
・NAVERまとめ:三角形lOVE♡だと?天下の奇・・・